どうも、タガメ王国のヘタレ防人リョウです!
この記事では、
遊郭編で感じた人間の闇が深い・・・
本当の鬼は誰なのか??
ということについてお話します。
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あなたがちょっとでも鬼滅の刃を好きになってくれたら、とても嬉しいです(#^^#)
遊郭編のネタバレはコチラ
→【鬼滅の刃】遊郭編の内容をネタバレ完全解説!知りたいならコレを読め!
遊郭編は人間の深い闇を感じた
鬼滅の刃の遊郭編って結構考えさせらると思いますよね・・・??
もし、堕姫と妓夫太郎に炭治郎や禰豆子みたいな優しい両親がいたら・・・
環境が最悪で母親が死んでしまっても成長を導いてくれる鱗滝みたいな理解者がいたら・・・
善逸や伊之助みたいな仲間がいたら・・・
2人が鬼になってから仲が良かったのは童磨かもしれませんが、生き延びるためには鬼になるしか道が無かったんですよね。
そして、妓夫太郎と堕姫(梅)がやったことよりも、堕姫(梅)を焼いた侍の方が鬼より酷いことをしてるんじゃないかと感じませんか??
2人を助けてくれたのは人間じゃなくて鬼だった
結果として、2人は童磨に無惨の血を分けてもらえなかったら助からなかったのです・・・
人間は誰も自分達を助けてくれず、助けてくれたのは鬼だった。
どちらが善でどちらが悪かなのかを非常に考えさせられます。
遊郭では貧しい環境で1日1日を生き延びるのに必死な子供がいたのは事実です。
ワニ先生はそういったありのままの日本を伝えたかったのもあるかもしれませんね。
そこには「人間が生きる尊さ」を残酷なまでに描かれていると僕は感じました。
別に遊郭編だけじゃなくて、鬼滅の刃全体を通して観ても鬼よりも人間の方がよっぽど鬼だなって思いますからね。
・猗窩座(狛治)の恋人を毒殺した人間
・カナヲの身売り
・不死川兄弟の母親
・伊之助の母親
鬼になってしまう原因を作ったのは人間ですし、そうじゃなくても人間を痛めつけていたのも人間なのです。
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鬼滅の刃の世界観としては「鬼がいなくなれば平和で美しい世界になる」というのありますが、人間のドロドロした深い闇はずっとあるんですけどね。
鬼は悪で、人間は善・・・
そう考えてしまうのは考えが甘いと僕は感じてしまいます。
別に鬼じゃなくても、人間が人間を襲って殺しているのに。
そんな世界が本当に平和で美しいでしょうか。
そんな風に感じるのは、僕たちが生きる現代社会も変わりません。
鬼は僕たちの心の中にいる
僕が出した結論は、鬼は僕たちの心の中のどこかにいるということです。
考えてみてください・・・
過去も今も、犯罪はずっとあるんですよね。
いじめ・虐待・殺人・戦争、どれも鬼じゃなくて人間が行った悲しい事ですよ。
つまり、僕たち人間の心にはどこかに鬼が存在して何かのキッカケで暴走してしまう可能性があるんです。
そのスイッチが浅い人(すぐ暴走しちゃう人)もいれば深い人(ギリギリのタイミングでもストップできる人)もいる、というだけなのですね。
ワニ先生もまた、鬼が悪で人間が善という考えではないと僕は確信しています。
そうじゃないなら、鬼滅の刃であんなに残酷なシーンを生々しく表現するハズがないからです。
だからワニ先生は、僕たちに命の温かさを感じてほしいのだと思います。
誰もが鬼になる可能性を持っている。
でも、鬼になって人を傷つけるかどうかは僕たちの心次第で決められる。
みんな傷ついたら痛い。
体の痛みだけじゃなくて心の痛みもある。
鬼滅の刃という作品でその痛みをちょっとでも知ってほしい。
痛みが分かればみんなに優しく接することができるから・・・
人が生まれて、人が死ぬ。
それがどれだけ尊いことなのかを教えてくれるのが鬼滅の刃だと僕は感じてます。
鬼は悪で、人間は善。
それは違くて、僕たち人間の心の中に鬼はいます。
その鬼とどのように付き合って生きるかを考えるのが大切じゃないでしょうか・・・
というように僕の本音をお伝えしてみました。
何か感じること・考えることがあればお気軽にメッセージいただけると嬉しいです。
・・・という事で、ここまで読んでくれてありがとうございます!
またお逢いしましょう!
タガメ王国のヘタレ防人リョウより
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